パンの歴史
日本で小麦の栽培がはじまったのは弥生時代。その後、小麦粉を練った生地で作る「蒸餅」「焼餅」という食べ方が中国から伝わりました。しかし、生地を発酵させた西洋風パンが伝わったのは1543年(天文12年)の鉄砲伝来からになります。
- 天文12年、種子島に漂着したポルトガル船により、日本に初めて鉄砲とパンが伝来。その後、イエズス会の宣教師たちの布教活動とともにパン食の普及も始まりました。鉄砲などの南蛮文化をいち早く取り入れていた織田信長が、硬いパンの一種「ビスコート」を食べていたという記録も残っています。しかし実際は、主にパンを必要としていたのは日本人ではなく、来日する貿易商人や宣教師たちだったそうです。こうして一旦は日本に伝えられたパンですが、1587年のバテレン追放令によるキリシタン弾圧や鎖国令の施行によって、日本からしばらく姿を消すことになります。
- パンが再び注目を集めるようになったのは、1840年に始まったアヘン戦争がきっかけです。清に圧勝したイギリス軍が日本にも攻め込むのでは、と恐れた当時の権力者たちは、軍学者・江川太郎左衛門にイギリス撃退の作戦を命じました。彼は軍備補強を進めるなかで、とぎ汁や炊飯の煙が出る米よりパンの方が携帯食に便利だと考え、製パン設備を作って大量生産を指導。日本人による日本人のためのパンが本格的に作られたのは、これが初めてだといわれています。やがて、鎖国令が解かれて開国した日本では、再びパン作りがひろく行われるようになりました。
- 江戸が東京に変わり、西洋文化が急速に浸透していった明治時代。パン文化も本格的に根付き始めました。明治2年には、日本に現存する最古のベーカリー「木村屋総本店」が開業。そこで誕生したのがあんパンです。日本人の好みに合うよう、日本酒の酒種でパン生地を発酵させる技術を開発したとか。やがてあんパンは、ガス灯などと並んで「文明開化の七つ道具」といわれ、人々の人気を集めました。また、パンとミルクという西洋風の食事は栄養価が高いとされ、明治初期に誕生した軍隊でもパン食が採用されるなど、パン食は日本中にひろまっていきました。
- 大正3年に始まった第一次世界大戦では、日本も連合国の一員として参加することになりました。そして、敵国であるドイツ人の捕虜が日本各地に収容されたことで、ドイツ式パンの製法や焼きがまが伝えられたそうです。また同盟国アメリカの影響で、砂糖やバターを使ったリッチなパンも普及。大戦勝利後の好景気で、製パンの機械化やイースト培養の工業化も始まり、パン食は日本人の間でさらにひろまりました。しかし一転、第二次世界大戦では、原料不足などで日本人にもパンにとっても暗い時期が続くことになります。
- 終戦直後は食糧難に悩まされた日本ですが、アメリカからの物資援助で大量の小麦が届けられるようになり、パン作りも復活。次第に戦争の痛手からも立ち直っていきました。ちなみに、戦後復興の途中にあった日本では、欧米文化が豊かさの象徴だったそうです。そのためライフスタイルの洋風化が進み、パン食も人々の暮らしのなかに浸透していきました。そして現在では、日本の製パン技術とパンの種類は世界一といわれています。日本に初めて発酵パンが伝わってから4半世紀あまり。いまや、パンは私たちの生活に欠かせないものとなっています。